三大大会市予選を終えて

本日で前半の山場の、全日本、西日本、九州といわゆる三大大会の市予選が終わった。

結果は、昨年の雪辱を晴らし3大会ともに地区予選への出場権を得ることが出ました。
しかし、内容は?全日本こそ3位入賞を果たしての出場権ですが、西日本についてはリーグ推薦での5番目の出場権だし?今日の九州大会では、やっとこさの4位通過・・・・結果オーライでめでたいことだが、何か素直の喜べない自分がいます。

最近の筑紫野市は、阿志岐さんの西日本大会出場と吉木さんの全日本出場に刺激されたのか、今までの構図と違って各チームしのぎを削った戦いになってるように思います。
その中で、我がヤングスは一頃の勢いから失速し・・・「今年のヤングスは、侮れん!」の印象を与えそうになったのに・・・ヤングスの攻略法が、知れ渡ったのか・・はたまた何のことなく抜かれて行ったのか?

良いチームを作ろう!強いチームを目指そう!楽しくやろう!言葉で言うのは、簡単で・・・誰にでも言えるんじゃないかな?
問題は、言葉を実現するために、野球にポジションがあるように、コーチ・父兄も含めて誰がどのポジションを守り、役割を果たすのかが大事なんだろう?

子供にガミガミいう前に、子供に向き合ってる親自身が何をどうやって伝えようとしてるのかな?
子供は、親の鏡・・というけど成長した我が子に接して、まさにその通りだなと感じるようになりました。

球道即人道・・・人生一生勉強!未熟ながらも51歳の誕生日を迎え、半端な自分を反省する。

フェイスブックを始めたおかげで、たくさんの方から(遠くの方から)お祝いのメッセージを頂きました。
しかし、肝心の子供達からは・・・・こんなバカ親なんで、当然といえば当然・・・わが身の不徳を肝に命じ明日から52歳のチョットましな自分を目指して頑張ろう!

・・・・・・じゅごんさんの見事なウンチクには、到底及ばないこの文章・・・・頑張ろう!

初陣飾れず

3月24日(日)西日本大会筑紫野市予選開催

この大会に向けて間に合わせた新ユニフォームでした。
私がヤングスに関わり出したのが、7年程前からですが、当時は選抜九州大会3位の戦績の余韻を残した「強さを求めるチーム」という印象が強く、野球未経験の私なんか入る隙は無かったのを覚えてます。

当時からユニフォームは黒で、九州大会出場をきっかけに、それまでの白から変更されたと聞いております。
袖には筑紫野と福岡まで刺繍されて、まさに九州大会以上に出場することを目標に作られておりました。

それからは、その記録を抜くことを目標に頑張った時期もありました。
ヤングスは、強いチームだ!と言うような雰囲気がチーム内にはありました。

それから数年経って、戦績もこれと言って華々しくも無く、勝ったり負けたりそれなりに楽しんできましたが、私の中では、これでいいのかな?と言う思いも浮かんできた時期でもありました。

強くなりたい!優勝したい!から段々と楽しくやろう!に変わってきて・・・・スポーツは、楽しむものだ!には同感だが何かが違う!思いがありました。

そんな中、コーチ陣が一新して色々話し合う機会を持つ中で、新しい流れが生まれて・・・子供達に新しい変化が見られ・・・今まで疑問に思ってたことに明確な答えが出てきそうな手応えを感じてきました。

また、コーチ陣にヤングスOBが子供の親として戻って来てくれた事もあり、この際、ユニフォームを昔の白に戻そうと思いたち、コーチ陣も賛同してくれて作り直すこととなりました。
袖には筑紫野の刺繍のみとし、シンプルに白のみとし、チョットオシャレに後ろ襟には桜のマークを入れて・・・。

原点に戻る・・・ほど大袈裟じゃないが、もう一度一からチームつくりをしてみたい、やり直そう!との個人的な思いで8年程使用した黒のユニフォームを封印し、創部以来使用してきた白を基調としたユニフォームに今回変更することとなりました。

着用初日は、自分の姿にもピンとこなく、ましてや選手やコーチの格好が別人に見えて・・・。

そんなことはさておき、肝心の試合は、初回の攻防が明暗を分けた展開であえなく敗戦となり、優勝を目指した本大会の初陣を飾れませんでした。

これからまた、強くたくましいヤングスを目指してコツコツ頑張って行きます。

敢闘賞から3位へ

すっかり更新するタイミングと意欲を失ってます。

17日は、全日本大会の筑紫野市市予選に臨みました。
全日本、西日本、九州と続く大きな大会の予選から始まるこの時期、思い起こせば昨年・・・・・・負け続けて市予選通過は、一大会のみでした。

今年は、少しの期待を込めて臨みましたが、ベンチ陣は、監督とスコアラーの私だけという状態???
コーチ陣と入念な打合せはしたものの、本戦の出来を占う初戦をどういう結果が出せるか??
不安もあったが、自信めいたものも正直ありました。

第1試合は、相手チームの欠場により不戦勝!
それに変わって第三試合が第二試合に変更されて、湯町戦からのスタートとなりました。

充分にアップできなかったので、多少の不安を残しながらゲームスタート!
初回表の相手攻撃で4点を先制され・・・すかさず裏の攻撃で2点を返すような波乱の展開で始まる・・・・。

先のことは考えず、この回この回出来る事を確実にやるように指示し・・・必ずチャンスが来るから・・・・そのときを絶対に見逃すな!と言いながら試合は進む・・・・・・。

途中追加点を許したものの、選手はさして慌てる事も無く淡々とゲームは進み・・・・最終回にはついに同点に追いつき・・・・タイブレーク2回を戦いやっと勝利を収める!(地区大会出場権を得る!)

これでコーチ2名不在の中・・・なんとかベンチの役割を果たせて正直ほっとしました。

続く準決勝は、宿敵シャークス!
練習試合での敗戦のリベンジで臨んだものの、前半の0-0は予定通りだったが???
ホームラン2本を皮切りに得点を許し・・・反撃もならず・・・敗戦!

がっかりする選手達に、次の3位決定戦を・・・目の前にある試合に全力を(一生懸命)つくすように激励し
3位決定戦に臨みました。

この試合も先制点を許し、得点差が開く中・・・諦めムードは漂わず・・・ひたむきに戦う選手たちに今までのヤングスには無かった一面を感じ取る事が出来ました。
それとともに、今年コーチ陣と「こんなチームつくりをしよう!」と話し合いを進めてきた中での、思ったとおりの選手の成長に喜びも感じました。

エラーも在る、決して締まった戦いではないけど・・・・・これまた最終回に同点に追いつきタイブレークへ!

そして見事勝利で飾り3位入賞!
武蔵リーグでは、敢闘賞・・・・今回3位・・・・大躍進の結果となりました!

しかし目指すは、まだまだ上のレベル・・・・コーチ陣に言わせれば「まだ今は、ホップ・ステップ・ジャンプ!のホップ段階」だそうでこれからのヤングスの新たな成長に期待してます。

今回は、2名の新6年のうち1名が怪我で出場できない中で、3年生までを擁しての戦いとなりましたが、決して結果を先読みせずに、多くのエラーにめげることなく戦い抜いたヘッポコを自慢したい気分です。

強くてもヤングス!弱くてもヤングス!諦めないのがヤングス!
ヤングス最高!

それにしても、金曜日会社の飲み会・・・・土曜日コーチと祝勝会・・・・日曜日南ニューフレンズの入江監督の壮行会と三連荘で、昼間の疲れよりも夜の疲れの余韻を感じる月曜日の朝???

お別れ大会を前に

6年生の戦いは、ラストトライアルを最後にチーム的には終わっているが?
筑紫野市では、3月の第一週に開催される「お別れ大会」で全チームの6年生のラストマッチを迎える。

毎年この時期、お別れが近くなり・・しんみりした雰囲気が漂うが?
今年は、卒部生3名のうち2名は、弟が在部しているため家族的には所属することになることもあって、結構あっけらかんとしている。

私だけ?卒部生の入部から現在までを思い起こし、うるうるしたりしているようだ?

こうへい、りき、ゆうた
3名が今年ヤングスからそれぞれ次のステージに巣立って行く。
ヤングスは、彼らにどれだけのことを伝えたであろうか?
ここ数年を見る限り、最低の戦績のような気がするが・・・・。
彼らの代のチームは、新体制となって取り組んでいる事の礎となったチームである。

こうへい
運動能力のポテンシャルは、高いがドタバタ・・ドタバタ跳ね回ってたのが、少しは落ち着いたかな?
りき
ここ一発の痛恨のエラーを何度やらかしたことか?でも憎めない・・・クヨクヨしない前向きな明るいキャラクター・・・・お兄ちゃん越えまであともう少し
ゆうた
チキンハートのヘッポコピッチャーだったが?今じゃ筑紫野だけならそこそこ投げるエースに成長!
私が選手に手を挙げた、数少ない子のひとり・・・。

これから彼らは、各々の選んだ道に進むわけだが、ヤングスで学んだことを生かしてなどと大層なことは言わない・・・ただ数年後、十数年後振り返ってこんな人に出会ったな・・・こんなことがあったな・・・こんなこと言われたな・・・・と思い出して欲しい。

私は君たちに出会えて、成長できたし・・・下手なノックやトスに付き合ってもらった・・・ありがとう!

命日に思う

ソフトには、関係のない話だが?

2月22日は、私の中学時代からの友人の命日でした。
高校3年の大学受験で、本人にとっては私立受験の最終日であり、ホッとして姉の家に遊びに行った帰り道、交差点で大型トラックに巻き込まれ・・・病院に運ばれ手当を受けるが、頭にダメージがあるらしく、良くて植物人間?と言う状態でした。

当時は、事故直後から知らせを聞いた友人が次から次に駆けつけて、病院のロビーに十数名が泊まり込んで(徹夜して)友の回復を祈ってました。

私も病院に待機した一人ですが、流石に3日目になると・・・・ご家族の方々にも、要らぬ気使いをさせることになるので、当番制にして数人を残し一旦帰宅することになりました。

風呂に入り、布団に入り眠りについて夢を見た・・・・病人が布団に横たわっていたが、いつの間にか居なくなり、慌てて探し回ってる・・・・そこに私への電話を伝える母の声で起されて電話へ・・・友人の訃報の知らせでした。

18の多感な時期でもあり、親友でもあった彼の死は衝撃的なものでした。
葬儀には、全校生徒が出席したんじゃないかと思うほどの長蛇の列ができ・・・友を見送ったのを今でも鮮明に覚えております。

その後、毎年命日には一人で飲み屋に行って(数年前までは、浴びるほど飲んでました。今じゃ体壊して・・・・)横に彼の分の盃を置いて、友人の死を偲びました。
今年は、30回忌に当たるそうで、フェイスブックを通じて、遠くは大阪から昔の仲間が集まり献杯式を有志一同で行われました。
私は、仕事で出席できませんでしたが、父の遺影の横に酒を供えてお参りしました。
今までの人生、大なり小なり「死んでしまいたい!」と思うこともありましたが、毎年この日は「どんなことがあろうとも、お前の分も、俺は生き抜く!」と誓う日でもあります。

どんどん過ぎ去って行く日々の中でも、離れ離れの友人が心の中に同じことを思い繋がっているんだな?と感じた日でもありました。

また会う約束などすることもなく、「それじゃ、またな!」と別れる時の、お前が良い・・・
GO TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。